なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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生れゆえ?能力ゆえ?

 「チューリングテスト」というものがある。どんなテストかと言うと、壁の向こうに何者かがいる(ある)。そいつと人間が会話をしてみて、人間側が「ああ、こいつは人間だな」と感じたら壁の向こうのものがたとえコンピュータであったとしても、「人間として認めていいんじゃないのか」というものだ。
 ということは現在話題になっている「〈ChatGTP〉は人間と認めてもいい」ということになるだろう。
 では人間はこのAIに人権を認めるべきなのか? それは彼らに参政権職業選択の自由、結婚の自由、居住・移転の自由などを認めることになる。
 「冗談じゃない。彼らには能力があると言っても所詮機械だ」という意見は、つまり人間と機械では『生まれ』が違うということを主張するのに他ならない。
 これは人間が近年推し進めて来た「出自による差別の禁止」に抵触しないだろうか。生まれながらにして尊い者と卑しい者があるという思想、前近代的な身分制の考えは廃絶すべきだった筈だ。
 ならばやはりAIには人権を付与すべきなのか。その根拠は彼ら(AI)が、人間の会話をする能力があるという事実だ。
 だが、それを認めてしまうといろいろな不都合が起きるのは明白だ。人間も年をとると認知能力に問題が出てくることもある。既に自分の子供をそれと認識できないばかりでなく、会話が不可能なケースもでてくる。
 年をとったら人権を剥奪してもいいのか?
 それはまずい。人間として生まれてきた者には、場合によっては生まれる以前から人権を授けねばならないというのが現代の趨勢だろう。
 しかしそれは出自による差別を招くのではなかったのか。
 果たしてAIに人権を認めるべきか否か。AIは古くて新しい問題を引き起こしている。
 この問題をAIに尋ねたら何と言うのだろうか?あいにく私はメカに弱くここでその答えを引用する能力は無いのだが。

(i3)