なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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花に問え

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先日、俳人の黒田杏子さんの訃報をネットニュースで知りました。と書いても、この名前にピンとこない方の方が多いでしょう。最近テレビでよくお見掛けする俳人の夏井いつきさんの師匠だった方です。大分前になりますが、一時期通っていた句会の主催者が杏子先生(と私達は呼んでいました)の直弟子だった関係で、何度か直接杏子先生とお話する機会がありました。

ある時学びに関する話をしていたら、「あなた、四十過ぎて学ぶだけじゃだめよ。何か教えるものを持たなきゃ」とおっしゃいました。いくつになっても学び続ける姿勢が大事と思い込んでいたので、そうか、学び続けていることに満足してはだめなんだと得心したことを覚えています。この「教える」とは、特定の知識や技能を伝えるというだけの意味ではなかったのでしょう。何が必要なのかよくわからないまま、四十どころか還暦を過ぎても、自信を持って「教える」ものがあるとは言えません。

学ぶ=インプット、教える=アウトプットなのでしょうか。アウトプットばかりでは枯渇する、インプットする時間が必要という声をよく耳にしますが--特にアーティストなどから--、インプットばかりしていても、インプットそのものが上手く定着していかないのではないでしょうか。入れたり出したりという作業を繰り返して人は何かを消化していくのだと思います。

「学ぶ」「教える」には、インプット/アウトプット以外の要素もありそうです。「学ぶ」ことは一人でもできますが、「教える」には相手が必要です。相手がいたとしても、一対一とは限りませんし、受動と能動が入れ替わることもあります。身近なところから始まる「学ぶ」「教える」の糸が、切れたり繋がったりしながら豊かな環境が育っていくものなのでしょう。教えたい欲が先走ったり、学んでいる自己満足に浸っていると、その糸がどんどん切れてしまいます。矛盾するようですが、謙虚かつ貪欲に、ある時は努力して、ある時は自然に、相互作用の輪が静かに広がっていくといいと思います。

最後に、黒田杏子さんが桜の季節に詠んだ句を一つ紹介します。

花に問え奥千本の花に問え

この春、桜の下で皆さんは何を花に問いますか?

(福)