溢れんばかりの情報に、追い立てられる日々。ほとんどは取りこぼすか、見ても見出しだけ。翌日には忘れている。この加速感はいったいどこまで進むのだろう。そして、私達に何をもたらすのだろう。
人が急ぐ理由の一つは、その欲深さによるものかもしれない。情報が溢れているということは、欲望の対象が溢れているということだ。もっと多くを見たい、聞きたい、知りたい、体験したい、所有したい(人よりも多く)。
考えたり、味わったり、発酵を待ったりする時間を削ることで辿り着くのは、一見豊かなようで、実は機械に似た受動的な暮らしなのではないだろうか。そのスピードの中でサグラダファミリアのようなものを発想することは、けしてできない気がしている。
人には競ってしまう本能がある。周囲が急いでいる間は、自分だけ速度を緩めることはないのだろう。なんでも極端まで行くと揺り返しが起きたりもするが、もし各国の生活のペースが週休4日+ボランティア1日になったら、世界の見え方も変わるように思う。
(MK)