なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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充実した人生とは

(福)さんの2023年7月7日公開記事「わからないまま考える」を受けて、この夏は、山内志朗著「わからないまま考える」を図書館で借りて熟読していた。

私にはこの本こそが“わからないまま読み進める”ものであり、数ページ読むと睡魔に襲われ、気づくと意識は飛び昼寝をしていた。そうして、数ページずつ読んでは眠り、翌日にまたそれを繰り返し、ようやく読破した時は、一体何を読んだのかわけがわからなかった。しかしその中で、気になる言葉や文章、段落部分に付箋を貼り、読了後しばらくしてその付箋部分を中心に読書ノートをまとめた。今回の記事のテーマはその一部で、「自己実現は自己没落だ」という筆者の主張から、充実した人生とは何かをわからないままに考えることにある。

4章建ての終章「セカイの終わりと倫理の始まり」には、ヘーゲルの「精神現象学」:快楽と必然性の内容解説がある。

”自分の夢を実現することで、死を手に掴む”。

ある特定の事柄が人生の夢として機能するのは、実現していない限りのうちだけであって、実現した途端ガラクタになってしまう。目標を見失い、唖然として立ち尽くす自分が現れる。だから、人生は夢だらけでなければならず、人生が夢や目的に満ち溢れていることが可能なのは、特定の夢や目的に拘束されない場合である。1つ実現したら、過去の栄光に縛られずに、すぐにゴミ箱に捨て、新しい夢や目的を見つけなければならない。固定的に存在しない限りにおいて、夢や目的は存在する。1つの答えがない限りにおいて、答えとして働く。
また現在は、過去と未来を繋ぐ橋であり、その現在が廃墟として意識に現れている時、未来は未来としての条件を獲得できる。それが、人生が夢と希望に満ちていることなのだ、と筆者(山内志朗氏)は言う。廃墟としての瓦礫を瓦礫のまま維持するのか、未来を受容する器とするのかが、問題なのだ、と。だからこそ、1つの答えとして留まり続けるものは、夢や目的としての条件を自分で破壊している。自己実現は、自己没落だ。

これを私は、いわゆる充実した人生に必要なのは、夢と目的の「創造と破壊」ではないか、と解釈した。

例えば、偏差値の高い大学に入学するために、幼少期から受験勉強に励み、高得点で志望校に合格したとする。それがそれまでの人生の夢で目的だった場合、大学生になった途端に自己実現は達成され、突然自分を見失う。そこにあるのは、自己喪失の廃墟だ。大学で何を学んだらいいのか全く分からない状態で、次の目的「大学で何を学びたいか」を見つける旅に出なければならない。大きな達成感は快感を伴うが、その後すぐに虚無感が襲ってくるのだろう。

しかし、その中で”自分がどういう方向性で進みたいのか”という長期目標が根底にあると一味違うのではないか。

長期目標が遠い目的で、また難しいものであれば、夢は実現されにくい。その長期目標とは、志望大学や就職先などの一つの具体的な目標地点ではなく、「どうありたいか、どう生きていたいか(be)」という多面的に解釈可能な目的(価値観)ではないかと思う。例えば、「“地に平和を人には愛を”に貢献できる人でありたい」でも、「分断を超える人でありたい」でもいいかもしれない。それを実現するための答えは一つではない。

そこで、この長期目標を実現させるために、具体的な手段が必要になる。それが、長期目標である「どうありたいか(be)」を支える行動:「どうするか(do)」(中期目標)だ。その行動を、あなたはどこで発揮したいだろうか?家庭?仕事?趣味の領域?その行動によって「実現したい状態(have)」は何かと、因数分解して得られる短期目標はいくつも出てくるはずで、それを達成するためのSmall Stepまで分解できれば、日々達成されても次の短期目標にも向かいやすい。目標達成そのものが充実した時間としても積み上がっていく。

「人生に目的はない」という言葉は、優しい真心の言葉だと山内氏は言うが、逆に言えば、「自分でその方向性(人生の目的:私はどう生きたいか、どうありたいかという自分軸と他者や社会との関わり)」を創造し、破壊し、また次を打ち立てる自由が人それぞれにある、ということではないか。企業活動で言えば企業理念のようなものを、自分の人生にも持つという意味で、そのmission(使命)を自覚することにも近い気がする。それが、夢と希望を持ち続ける、ということであり、充実した人生に繋がるのではないだろうか。

時間に追われる日々は、いわゆるto do listと向き合うことで、行動(do)にばかり、もしくは実現したい状態(have)にばかり目が向いている。だからこそ、時々は立ち止まって自分が何を望んでその行動(do)をし、その状態を味わっている(have)のかの長期目標として人生の方向性(be)を考え、意識することも大事なのかもしれない。

皆さんなら、どう考えるのだろうか?

(てんとうむし)