なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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想像力が生み出した存在(@Real Café)

『どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない』寺山修司の言葉である。
だから、抽象的なぼんやりとした恐怖はめちゃめちゃ恐ろしい。
その恐ろしいものに「かたち」を与えてやる。制限を加えるのだ。
そうしてやると、その恐ろしさが幾分やわらぐ。
どなたかが発言されたように、(かたちにすれば)それ(恐ろしいもの)に対してどう対処したらいいかが考えられる。
先日TVを見ていたら、古い合掌造りの民家で、眠ろうと布団に入った都会育ちの男の子(孫)が天井に目をやると、怒った男の顔が睨んでいるのを見つけてしまうという、何ともシュールで恐ろしい話を放送していた。もちろんこの怪談はつくりばなしである(NHK『怖い絵本』より)。
孫が「おばあちゃん! 天井で怒った男の人の顔がこっちを睨んでいるよ」と言っても、そのおばあちゃんは「見なきゃ何でもないだろ? 何にもしてこないんだから」と取り合わない。
孫は「でも……でも怖いよ」
おばあちゃんは「見なきゃいいよ」
このおばあちゃんの顔はTVでは映らない。そこがまた怖い。見ているこちらの想像力を掻き立てる。このおばあちゃんと天井の男には何か関係があるのだろうか?
恐怖心は、まるで翼が生えたよう。次から次へと想像力が疑問を生んでゆく。
いつからこのおばあちゃんは天井の男に気づいたのだろうか?
おばあちゃんは天井の男に何か酷いことをして、男はそれを恨んでるのだろうか?
「おばあちゃんはぼく(この孫)には何もしないよね?」
そんなことをこの男の子(孫)は思ったろうか。
使い方は若干違うのだが『秘すれば花なり』という世阿弥のことばを思い出す。
隠されたものには人間の想像力が働く。それを暴く=「かたち」にしてしまえば幾分気持ちもやわらぐ。筈である。
話は変わるが、多くの宗教では神の偶像をつくることを禁じている。
人びとのなかの神は崇高で偉大であり超越している。
それを偶像にしてしまう=「かたち」にしてしまうと、有り難さが半減してしまう。
それほど人間の想像力というのは何とも言えないちからを持っている。

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