なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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「分離・分割と命名 そうではない動き」を終えて -- 名前と本名に関するあれこれ

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「分離・分割と命名 そうではない動き」の哲学対話では興味深いお話を沢山聞くことができました。ありがとうございます。


参加された方がどの程度このブログをご覧になるかわかりませんが、感想を募集した側の一人として、取りあえず最初に海に飛び込むことにします。

 

本編の終わりから雑談にかけて、ある参加者の方が『千と千尋の神隠し』に触れ、主人公の女の子が役に立たないという理由で名前を奪われてしまうことは理不尽だという話をされました。
そのお話を聞きながら、女の子が「名無し」にならず、「荻野千尋」から「荻野」と「尋」を引いて「千」(ち)にならず、「千」(せん)になったことに意味があったのではとぼんやり考えていました。

 

その後別の参加者の方からデスノートの話が出ました。私はこの漫画が意外と好きで最後まで読んでいます。
ストーリーを知らない方の為に簡単に説明すると、デスノートというノートに名前を書き込むと、自分で手を下さなくてもその人の命を奪うことができるのですが、本名でなければ効力が無いという設定です。
ただし、死神と契約して「死神の目」を手に入れれば、本名を隠していても透視することができるのです。その代償は残りの寿命の二分の一。これをどうとらえるのか。
「人を呪わば穴二つ」であれば残りの命全てを賭けなければならない。でも死神との取引は残りの二分の一です。それも、その時点では残りが10年なのか20年なのかわからない。本名を見抜くこととノートに記入することは別の行為として、この代償は重いのか軽いのか、考えてしまいました。

 

名前つながりということで、最後に『薔薇の名前』の末尾の文を紹介します。

 

「過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ 虚シキソノ名ガ今ニ残レリ」

 『薔薇の名前ウンベルト・エーコ著 / 河島英昭 訳 より

 

名前に絞った哲学対話も楽しそうですね。

 

(福)