なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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パスカルの賭け

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「人間は考える葦である」で有名なフランスの哲学者パスカルは、神が存在するかどうかという問題で「存在する」に賭ける方を勧めた上で、

もし勝ったら、きみはすべてをえるのだ。負けても、何もうしないはしない。だから、ためらわず神はあるという方に賭けたまえ。

と述べています(『パンセ』由木康 訳より)。

この「パスカルの賭け」は、神の存在を証明できないとしても、存在する方に賭けて損はしない、むしろ得、という部分が注目されることが多いのですが、以下のような前提を基に構成されています。

・神の存在と不在の確率は1/2ずつ。
・「有限の生(現世)×1回の生×有限の幸福」より、「有限の生×有限または無限の生(来世を含む)×無限の幸福」の方が大きい。

この前提を否定すると賭けそのものが成立しないのですが、「神が存在する」ことの証明ではなく、「存在する方に賭けた方が得」という投げかけは、以後多くの哲学者の間で様々な議論を巻き起こしました。

伊藤邦武はこの賭けについて、「無限大の利益の可能性」が認められる場合、即ち神の存在についての賭けの場合のみ、「全くの不確実の状態においても賭けることの意味を見出せる」とし、伊藤邦武の解釈について吉田寛は「この議論は、読者を自動的に賭けさせるようなものではなく、ただ賭けを可能にする地点まで読者を連れて行く議論であったと解釈され得る」と述べています(以上引用は『人間的な合理性の哲学』伊藤邦武 著、『ウィトゲンシュタインの「はしご」』吉田寛 著より)。

私も伊藤 - 吉田ラインの考え方に共感しますが、上記の前提や過程を踏まえた上で、最初に戻って神の存在を信じる方に賭けたいと思います。
これは、「やらずに後悔するよりやって後悔した方がいい」とは違います。
報酬は不確実で無限大、賭けるものは確実で有限、信仰とはそういうものかもしれません。一方で、そういう無限や有限を意識しない日常の中に信仰があるとも思います。

パスカルの賭け」という語を聞くと、私は小川哲の『ゲームの王国』という小説を思い出します。上巻はカンボジア内戦を背景としたポリティカルフィクション、下巻はゲーム哲学を中心としたサイエンスフィクション仕立てになっており、特に下巻には様々な哲学的問いが埋め込まれています。カンボジア近現代史に興味がある方にも、SFファンにもおススメの一冊です。

そもそもこの本の紹介をするためにこの文を書き始めたのですが、パスカルの賭けの方が面白そうなのでそちらがメインになってしまいました……。

(福)