なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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学習とは

ずっと引っかかっていることがあります。ある学生の方の「勉強に追いまくられていくうちに、型に填められていくようで怖い」という言葉です。まだ若いのに、このような気持ちを持てるほど、自分を確立していらっしゃるということに驚きました。そして、この率直な感想は正しいと思うのです。
 
世の中には、色々な学習の仕組みがあります。それぞれの国では、自国の学習制度を制定し、国民が一定のレベルの力を持てるようにしています。また、企業にはそれぞれの育成制度があり、その会社で必要とされている能力を身につける支援をしています。

 

価値観が確立した社会人であれば、学習内容を客観視しながら学ぶことができますが、義務教育中の学生であれば、学習内容を客観視することができないため、知識とその知識を選んだ価値観を埋め込まれていきます。そのことを感じた一部の学生は、抵抗感があるのかもしれません。また、学校という仕組みが1つの社会であり、初めて社会生活を体験する場所であるという面も重要なのでしょう。
 
それでは、私たちにこれから求められる力とは何でしょうか。私は、学ぶ力だと思います。今まで見えなかった価値観が見えるようになり、不必要な範囲まで情報を簡単に得られる時代において、なにが必要なのかを自分で判断することが大切ではないでしょうか。そして、どこかの情報源をそのまま信じるのではなく、自分で咀嚼し、一歩一歩進む。これを「学ぶ力」と総称したいのです。

 

私は、知能の部分だけではなく、心の部分も合わせて成り立つものをイメージしています。常に何かに興味を持ち、自分でその分野についての情報・知識を集める。そして、自分のものにする。先日、哲学カフェで「自分の文化」という言葉をおっしゃった方がお見えでしたが、一人ひとりが自分の文化を持てると素晴らしいなと思います。
 
私が考えている能力とは、学校で習う教科(国語・算数・理科・社会)とは違います。これらの教科を学ぶ時に、学ぶ時間がうまく流れていれば、学び続ける力も身につけることができる。その能力のほうが大切だという気がします。つまり、教科書よりも、授業の進め方にかかっているのでしょう。

 

平成29年の学習指導要領のポイントには「知識の理解の質を高め資質・能力を育む主体的・対話的で深い学び」という言葉が記されています。私は学校教育の場に身を置いているわけではないので、実体はわからないのですが、この目標が高いレベルで実現していれば望ましいのかなと考えた次第です。

(寺)