先日、対話ファシリテータの大前みどりさんが主宰する「問いかけるトレーニング(続編)」に参加してきました。
当日の進行内容についてここで詳述することはできないのですが、ざっくり内容を紹介すると、問いかける側と答える側とに分かれて、前者はひたすら問いを投げかけ、後者は答えることに専念する(途中で立場交代)、その流れを通してどのような問いを重ねれば対話が深まるかを探るワークショップです。
普通の哲学対話では、問いと答えの境目が曖昧なまま話題が自由に流れていきますが、このワークショップでは役割と条件が明確に示されているため、それらを意識すると思うように対話が進みません。いつもとは違うギクシャク感を味わいながら、試行錯誤を経て、参加者は各々様々な気付きを得たようです。
制約を取り払って自由に話してもいいと言われた時、自分の考え方の癖に捕らわれてしまうことがよくあります。
一方で、今回のワークショップのように役割や条件という枷があり、即応性が求められる状況下で、思わぬ思考が自分の中から出てくることもあります。
スポーツをする時に(私は何もできませんが)筋肉があった方がより楽しめるように、対話においても対話筋があった方が意外な展開を楽しめるかもしれないし、筋肉は負荷をかけた方が育つかもしれません。
対話に限らず、思考において制約を課した状態で浮かび上がるもの、外した時に見えてくるもの、その効果と弊害について色々と考えさせられました。
現在、哲学対話に関するワークやトレーニングの解説書が多数出版されていますが、その一つである『ゼロからはじめる哲学対話』(河野哲也編)に、以下のようなワークが紹介されています。
- あえてつまらない問いを作る。
- なぜつまらないかを考える。
- 真善美に沿って問いを作り直す。
3.はともかく、なごテツで1.と2.をやったら斜め上の問いが出てくるのではという妄想が膨らんできました。
つまらない問い、くだらない問い、それらを考える筋肉が何の役に立つのかわかりませんが、色々な対話筋を鍛えたいと思います。
その前にリアル筋肉を鍛えてフレイル予防に努めなければ……。