なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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たった一度だけ…………

 以前このブログにUpしたことで、心に引っかかっていることがある。『動物の眼には、扁形動物のプラナリアの眼、軟体動物のイカの眼、節足動物のトンボの眼、脊椎動物のマウスの眼などなどいろいろのタイプの眼がある。その眼は、それぞれ個別に進化の途中で得られたもの(収斂進化)なのか(偶然プラナリアの眼も僕らの眼も光を感じるという共通の機能を得ただけで、両者には進化上は何のつながりもないという考え)、それとも進化の途中で一度だけ生じたもの(共通起源)なのか(例えば僕らの眼もプラナリアの眼が高度に進化してできたものという考え)、という謎』についてだ。
 素人が結論付けることなど、勿論できよう筈はない。今回問題にするのは、『一度だけ』ということに何故僕は特別な魅力を感じるか、ということについてだ。
 だから僕は『眼には共通起源ある説』に魅かれているというのは歴然だろう。その生物学上の論争をする訳ではない。『たった一つ』『一度だけ』『一回に限り』という『一』に宿命的・運命的・神秘・選民思想etc.を感じる。
 ユニコーンの角は一本だから気高く、一匹狼は一匹だから逆に風格・威圧感を感じさせ、一休さんは一だから様になるのだろう。
 再び生物に関する話なのだが、地球上の生き物はほぼ鏡面体のLタイプの分子を使って組み立てられており、何故かRタイプの分子は使われていない。ここから、地球の生物はたった一度だけ誕生し、僕らは皆その一匹(?)の子孫だとする説がある。その一匹を生物学上ではルカと呼ぶらしい。勿論反対する人もいるが、僕らの究極の先祖がルカ一匹だけだとしたらなにか感慨深い。
 そしてNASAの予算獲得の為大量に流されるプロパガンダと全く正反対の説、『この宇宙で生物は地球だけで生まれた説』もロマンティックなものを感じる。
 以前のこのブログで何かのときにも書いたのだが、一説によるとこの宇宙で自然に生物が発生する確率は、宇宙で自然にトランジスタラジオが発生してしまう確率と同じくらいだそうだ。
 これはフェルミのパラドクスの有力な答えになるかもしれない〈フェルミのパラドクスとは、これだけの星々があり、生命体で宇宙が溢れているのなら何故我々は彼らとコンタクトできないのか、というもの〉。
 アーサー・C・クラークは以前『夜空を眺める時、この全天の星々にそれぞれ生命体が住んでいるという考えも、ただ地球で唯一生命体が存在するのだという考えのどちらも我々を戦慄させる』と述べていたことを思い出す〈記憶を基に書いているので表現は本当とは異なる筈〉。
 地球の生き物=宇宙で唯一の生命体のほうがレア感があって、良いなと思うのだが、なかなか一般に同意は得られそうもない。
 結局『たった一度だけ』の考察はお座なりになった感はある。

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