なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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学問のすすめ?

 『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言へり』。一万円札の人はそう言った。そう言う彼はまた、『脱亜入欧』を標榜したことでも有名である。
 「しかし、欧州の国々を一等国、亜細亜の国々を二等国のように唱えるのは『人の上に人を造らず…………』に矛盾するのではないか? 天は亜細亜の上に欧州を造らず、ではなかったのか?」
 昔この疑問を人に口にしたところ、
「欧州は『人の上に人を造らず』の思想の国々、一方亜細亜は依然古い身分制度固執した『人の上に人を造』る国々。だからだよ」
 そう言われた記憶がある。
 諭吉は単なる言葉遊びをしていた訳ではなく、社会が平等の世の中になるよう努めた。その為の『脱亜入欧』だったのだと気づいた。
 そう納得したのではあるが、「でもかたちの上では欧州を亜細亜よりも上に見てるよな」と腹落ちできない自分もいた。だが、僕の考えは単なる言葉遊び以上のものでもないのも判っていた。
 そうして再び悟ったことがある。「諭吉の目指すところは実学であって、僕のような言葉遊びは問題外なのだ。それが彼の<学問>なんだな。そのようにして『学問のすすめ 』を説いているんだ」。
 そうは得心しても猶、僕の<虚学愛好>の傾向は止まなかった。だから哲学界で「もし、仮に一人の人間が甚大な苦しみを課せられているとする。そのおかげで国中の人が幸せに暮らしていけるとしたら。功利主義、最大多数の最大幸福の観点からすれば首肯すべきことになるが、どうだろう?」というSFとも思われるような話がなされるのを好んだ。
 国中の人がただ一人の王様の為に尽くすというようなケースはあり得ると思う。だがその逆パターンなんて考えて意味があるのか?とも思うが、よく考えればあり得ない話ではない。
 外交の為国内安寧の為と称し、国民なら誰もが持っている様々な基本的人権を犠牲にしている人、もしかしたら、いやいるではないか? 確かに様々な特権も持っているようだが、自由を制限されている一族が。
 だから一見何の価値も無いようなパズルのような哲学的命題、哲学的考察も時代が移ってゆけばいつか役に立つこともあるのではないだろうか。
 物理学の歴史では<電気>というものを発見・発明した研究者に「そんなもの何の役に立つんですか?」と記者が質問をしたという。博士はこう答えた「生まれたばかりの赤ちゃんは何の役に立つ?」今では電気の無い生活は考えられないのは言うまでもない。
 哲学も物理学と同じく学問である以上このエピソードが伝えるところがあるのではなかろうか。

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