遠くのものを、時々意味もなく思い、見つめてしまう。地上のものばかり凝視していると、どんどん近視眼的になり、その中の比較理解が難しくなるように感じるから。
日常は、平和で申し分ないことばかりではない。肉体を持って、他者や社会と関係していくということは、その中で生じた摩擦を調整し、解消し続けていくことでもある。その摩擦を少ないエネルギーで乗り越えるのに、地上とは違う物差しがあったほうがいいように思うのだ。
永遠のように見える宇宙の星々も、実は変化していて、いつかは消滅するらしい。「普遍的」や「絶対」に思えるものも、実は「相対」なのだと思う。
ただ、人が一生で思考体験することに比べたら「相対的絶対」とは言えそうだ。だから今日も私は、空を見上げるのだろう。
(MK)