なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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哲学カフェレポート:信頼される人

※2023年4月8日に開催された哲学カフェ「信頼される人とは」のレポートです。少し長文ですが、どうぞご了承ください。全文を読みたい方は「続きを読む」をクリックしてください。

 

 「信頼される人」のイメージはポジティブだろうか? それともネガティブだろうか?
 私には、はっきりとしたポジティブなイメージがあった。2020年3月にオンライン上で出会った海外在住の若手研究者夫婦だ。私には、オンライン上の活動ながら、彼らがなぜこれほどまでに信頼を獲得し、活動を広げていけるのか不思議で仕方がなかった。難しい専門用語を一切使わない夫妻の小さなチャレンジとして、『新型コロナウイルス感染を理解するためのやさしい生物学』の3分動画を週1回1度公開する動画チャンネル*1が開設された当初は、視聴者は私も含め約20名弱だったのに、徐々に多くの多様な人たちが集まり、書籍出版*2や絵本出版および寄付による児童養護施設や子ども病院などへの配布*3、世界最先端の様々な科学研究内容を一般の人たちに紹介するサイエンス・アウトリーチ活動にまで発展した。その背景には、多くの人からの夫妻への「信頼」があった。

 「信頼される人」とは、どんな人なのだろう? 「信頼」に結びつく価値観には何があるのか? それが、哲学対話で「信頼される人とは」をテーマに私が最も考えたいことだった。

【信頼される人に対するポジティブな側面:信頼に結びつく価値観】

 初めての進行役を務めるにあたり、私は事前資料を作成した。そこに記載した「私が考える信頼と結びつく価値観」には、①誠実さ(嘘がない)、②実行力・実績(例え時間がかかったとしても有言実行)、③関わる人たちへの感情理解・共感の3つの軸がある。実際、哲学対話をすると、①では人柄、②では能力と実績という2つの軸が提示された。
 人柄というのは、プライベート(私的)な関係において重視されやすい主観的な信頼の側面だ。一方で、能力・実績というのは、仕事での関係上重視されやすい客観的な信頼の側面と言える。ただし、管理職・上司(プロジェクトリーダー)などリーダーシップを発揮する立場の人に求められるのは、能力・実績だけでなく、人柄や包容力も信頼に関係しそうだという意見もあった。つまり、どういった人をどのような側面から信頼するかは、その人との関係性(人間関係上の距離)によって変わる可能性があるということだ。

 また、私が想定していた③関わる人達への感情の理解・共感という軸は、哲学対話では出なかったが、自分が想定しなかった側面、『時間軸』という視点があった。信頼は時間をかけて築くものだ。時間軸で築く信頼は相手の人柄と能力で、能力が秀でているだけでなく、周りを巻き込む積極性・魅力などの人柄がある。そして時間経過によって、それが信頼の実績となるのだ。
 また時間軸で信頼を考えたとき、どの人を信頼するかの選択が必要条件となり、またその選択には「自分に対する信頼(自己肯定感:他人に評価されることでなく、あるがままの自分を自分で認めること)」が育っているかどうか、「疑うこと」を知っているかどうかが影響するのではないか、という斬新な意見が私には印象深かった。つまり、赤ちゃんは無条件に養育者を「信頼」しているとされる“基本的信頼感”のことを指していると私は想像するが、赤ちゃんには養育者以外に選択肢がなくそれは疑う余地がないというのだ。つまり、赤ちゃんには最初「信頼」という意識はないが、経験によって「予期」するようになり、それが叶う結果があると信頼が生まれる、とする意見だ。
 例えば、泣くとミルクがもらえるという経験によって、赤ちゃんの側に養育者への信頼が生まれる。この「予期」は関係性によって、変わってくる。例えば赤ちゃんが無条件に自己を承認してくれる対象を求める信頼と、仕事を任せられる対象を求める信頼では、「予期」する内容も変わるということだ。何の目的のために信頼するのかベクトル(方向性)によって、信頼する内容が変わるとも言えるだろう。また、能力と人柄の両方として「態度」をジャッジして信頼する場合もあるだろう。そして、他者への信頼を自分の中でどのように分化しているのか、自分自身の中で明確化する必要もある、という意見に私も納得した。
 このように、時間軸で「信頼の一生」を考えた時、大抵は好みや同じ価値観からまず出発し、信頼できる根拠が積み上がってそれなりの信頼になる。この根拠に含まれるのが、人柄、能力、実績とされるものだろう。そして、途中、疑いが生じ、揺らぐ時期を経て、ある一定の閾値を超えると全面的な信頼になる。ところがこの築城3年の信頼関係は、あるきっかけにより3日で落城することもあり得るという、何とも儚い側面も忘れてはいけないように思える。つまり、お互いに信頼関係を維持するためには絶え間ない努力が必要なのだろう。

 一方で、他者を信頼するためには、自分を信頼できないと不可能ではないかという意見もあり、何ともその深い思考に驚かされた。つまり、「信頼」と「自立」の関係を指している。精神的な依存は、信頼というより「妄信」になり、自立した上で頼る時それは「信頼」になる、という意見である。なぜなら、予期(期待)を裏切った時、その人を信頼できるのか、それとも信頼はなくなるのか、という疑念が生まれるからだ。頼ったがために起きたリスクを自分で引き受けられるだろうか? 相手が、自分の軸で考えたことを最後まで責任もって成し遂げられるかどうかを、自分自身も自分軸で見ていられるかどうか、という視点である。
 例えば、クラウド・ファンディングで寄付したお金が、もしかしたら期待通りに使われないまま、失敗するかもしれない。プロジェクトがたとえ失敗したとしても、それでも自分は、「相手に裏切られた」とは思わず、納得できるかどうか、ということだ。この視点に対しては、価値基準がある程度同じでないと、期待を裏切られて信頼できなくなるという側面も含む。そこで、価値観の共有が信頼には重要になってくる。科学は事実に基づいているから信頼されるが、それは事実への信頼であって、価値観を共有するような伝達者の姿勢への信頼が必要なのではないか。

 こうして考えていくと、信頼される人というのは、「予期」するものの軸と、望む「価値観」の軸の2点が大きく関わってくる。
 信頼される人には、情報の正確性よりも価値観が合うことが重視され、期待と一致するかどうかが大きく関わる。事実は予期と違うこともあるが、その中で一貫した姿勢を保てるのか。そこに時間軸が関わるのだ。
 また「情報」は事実に基づいているだけで「信用」はできるが、人は「志」に共感できないと信頼できない。
 信じる側が信じたいと思う欲求に沿えるかどうかも信頼されることにつながるのではないか、という意見もあった。そこには、「信じたい」という本来的な欲求がそもそも人にはあり、それを満たしてくれる人が信頼される人ではないかということだ。自分の中にある信頼の分化(その人が何を見ているか)が信頼と関係するが、どこに向かっているのか(ベクトル:方向性)も見えていることが大事なのではないかという意見には、私も賛成する。

【信頼される人に対するネガティブな側面:騙されないために必要な情報リテラシー科学リテラシー


 ここで、属人的な判断と事の判断を分けて考えてみよう。
 信頼される人とは、他者評価による能力・実績を人と結びつけて考えている。一方で、信頼されること(事)とは、例えば客観的で科学的な事実を、わかりやすく伝える表現力でもって、誠実に情報発信することとも言える。誰かを信頼する場合、この判断が人に対するものなのか、事に対するものなのかで自分がどちらを信頼する傾向にあるか、理解できると思う。
 そこで、さらに考えたいのが「信頼」の悪用、詐欺・カルト・マルチ商法などのビジネスモデルだ。実は、哲学対話の中で「疑い役を準備し、発信した情報に対してポジティブな反応を醸し出して場の雰囲気を作れば、信頼は見せかけでも作れてしまう」という意見があった。私は事前に全く想定していなかったが、いわゆる「信頼される人」のネガティブなイメージだ。これは、哲学対話後の特設ページでも話題になった*4
 詐欺師は、どちらかと言えば丁寧な言葉づかいで優しく、ニコニコして近づいてくることが多い。表面的に「信頼できる人」を演じているわけだ。しかし、そこで一旦立ち止まって考えるべきは、彼らの表面的な態度や言葉ではなく、彼らの目的と情報を受け取る時点での自分自身の状態の把握(認知バイアス)だ。
 そこで、医療情報における情報リテラシーとして、知っておくと便利なモデルを例に考えてみる。それがMICEモデルだ。誤情報・偽情報の発信源となる人は、次の4つの理由から誤った情報を発信する傾向にあるという*5

  1. Money:金銭目的
  2. Ideology:個人的な主義主張
  3. Compromise:例えば過去の主張との整合性や周囲への妥協
  4. Ego:承認欲求

 話の内容に、これらの目的がないかどうか、冷静によく考え判断する必要がある。
これは「信頼」の悪用における情報の取り扱いにも応用できるのではないだろうか?

  • 彼らはなぜ、あなたにそんなことを言ってくるのか?
  • 彼らはなぜ、あなたにそんなことをしてくるのか?

 その目的を冷静によく考えるのだ。それから、その相手が本当に信頼に値するかどうかの決断を下しても遅くない。
 また、情報を正しく選択するための自分の方の認知バイアス*6についても知っておくとより騙されにくくなるのではないか、というのが私の意見だ。
 騙されないようにするために重要なことは、例えばお金儲けであれば「楽で簡単にお金は稼げない」という前提に立ち、難しい選択をするエネルギーが必要だろう。そのエネルギーがなければ休んでエネルギーを溜め、小さな一歩を踏み出す勇気の方が大事なのではないかとも思う。

 情報リテラシーの他にもう一つ重要な考え方が、科学リテラシーだ。
 科学(Science)はもともと「知る」というラテン語から来ている。科学的思考に基づいて、どのように知るかがそのリテラシーとなる。むやみやたらと根拠なく知ることが科学リテラシーではない。
 重要なのは、科学的な知識を得ることよりも、科学的な思考ができるかどうかだ。私が特に重要に思っているのは、科学は、専門知識を「知る」ことよりも、筋道立てて(論理的に)科学的な事柄や仕組みを「理解する」ことに比重を置くことだ。

 サイエンス・コミュニケーターを考える上で何が重要か書かれている資料から、科学リテラシーとは何かについて、引用すると以下の通りだ*7。(なぜ、一般市民すべての人に科学リテラシーが必要なのかについての記事もあるので、余裕のある方はぜひ読んで頂きたい*8)。

 科学者ならば、実際に自身の研究業務で経験している技術を使い、まず科学の常識として疑ってかかる。そして、客観的な状況を確認する。その“科学的な情報“を支持する論文が出ているかどうか、学者の集まりである学会で話題になっているかどうか、他の一般的な実験結果から同じような効能が考えられるか、何らかの効能があったとして製造価格として妥当か、科学文献データベースで調べ、場合によってはその分野に強い研究者仲間に確認を取ることだろう。最終的にそうやって眉唾物だとわかれば、その”科学的な情報”は無視することになる。
 本当の科学リテラシーを身に着けるのは、たやすい作業ではない。理想的には、科学や技術に関する大まかな知識は言うに及ばす、科学の歴史、科学的論理的思考方法、疑ってかかる精神、検証の仕組み、進化や生物多様性の本質的理解、統計の落とし穴、嘘を見抜く力を身に着けて、新聞やテレビの科学報道、巷で流行している健康法やダイエット法、がんを治す食品、はては数字を用いた政治的トリックなどの真偽を見破れる総合的な判断力が要求される。もちろん、自分の力だけですべての問題を解決することは不可能なので、正しい数字やデータに到達できる情報検索術や相談できる人を見つける術なども身に着けておきたい。

 ちなみに、私が個人的に科学リテラシーとしてこのコロナ禍で学び、意識するようになったことは、3点ある。
 第一に、ある情報に根拠(エビデンス)情報が記載されているかどうかだ。そして、その根拠となる情報の一次情報が科学論文から来ており、その専門分野である学術分野で一定の評価を得て共通認識になっていれば理想である。ところが、専門分野によってそれは一人で判断できない。
 第二に重要になるのが、その専門分野における解説者の存在で、その専門家は複数見ておいた方が良い。一人の人間がすべてを知ることは不可能だし、その人が絶対に間違いを犯さないということもあり得ないからだ。例え専門家であっても、ある時は正しいことを言っているかもしれないが、別の場面では間違うかもしれないという人間としての不完全性を認識しておく。そして科学には限界があるということをきちんと謙虚に説明しているかどうは重要だ。
 そして第三に、ある専門分野で、複数の専門家の発言を確認し、そこに共通点を見出せるなら、その科学的事実はおそらく現段階での妥当なラインだと判断できる。

 以上の情報リテラシー及び科学リテラシーがあれば、騙される前に、何が信頼に値するのか、信頼できる人なのかどうかはもっと判断しやすくなるのではないだろうか。


 最後に私からみなさんに問いかけたい。
 あなたは、どんな人をどのように信頼するのだろうか?誰かを信頼するからこそ、自分が信頼されることもある。信頼される人は自分の中にあるという意見があったが、ここには正解はなく、多様性があると私は思っている。初対面の「信頼」は「自分の好み」や「意見の一致」が大きく影響してそうだが、そこで「信用」「妄信」となると思考停止となる。これは本当だろうか?大丈夫だろうか?と疑ってかかり、よく考え判断・選択することで積み上がる「信頼」との違いをぜひ考えて頂きたい。

(てんとうむし)

※2023.4.8.哲学対話「信頼される人とは」の進行役を務めるにあたり、新妻免疫塾の許可を得て、考えるきっかけとして活動エピソードを紹介いたしました。この記事も新妻免疫塾の掲載許可を得ています。
新妻免疫塾を運営している新妻耕太さん、Lucyさん、一緒に活動した塾生、視聴者の皆様、また新妻免疫塾に関わって下さったすべての方々、及びなごテツの皆様に敬意と感謝を込めて、この記事を捧げます。