なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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カエルとサソリーーサソリの性(サガ)とはーー

先日のおなごテツ(毒で身を守れるか?)で、或る方が「カエルとサソリ」というお話について語られました。興味深いお話だったので、簡単にあらすじを紹介します。

一本の川を前にして、サソリがカエルに話しかけます。
サソリ:向こう岸に行きたいんだけど、僕は泳げないから背中に乗せてくれない?
カエル:嫌だよ。君は僕を刺すだろうから。
サソリ:そんなことしたら僕も死んでしまうからするわけないじゃないか。
カエル:なるほど。たしかにそうだね。
カエルはサソリを乗せて川を渡り始めますが、川の中ほどまで来たときに、サソリはカエルを刺してしまいます。共に水中に沈みながら、カエルはサソリに問いかけます。
カエル:どうしてこんなことを? 君も沈んでしまうのに。
サソリ:それが僕の性(サガ)だからだよ。

後で調べてみたところ、元々はベトナムの寓話で、べトナム戦争時に子供達に語られていたということでした。アメリカと戦争をしてもいいことはないのにせざるを得ないと。開高健は『ベトナム戦記』でこのお話を引用し、最後のサソリの科白を「それが東南アジアだから」に変えていますが、サソリをアメリカに見立てる人もいるようです。悲観的な見方が多い中、自らの本性に従ったという肯定的な解釈もありました。
現代のビジネス書では、カエルを地球に、サソリを人間に見立てて環境問題を考えるという見方が人気ですし、依存症など、「性(サガ)」を「わかっちゃいるけどやめられない」と捉える読み方も見られました。

しかし、この「性(サガ)」は「わかっちゃいるけどやめられない」程度のものなのでしょうか?
「わかっちゃいるけどやめられない」問題には、まだ何か策を講じる余地があるような気がしますが、この「性(サガ)」にはどうしようもない虚無的な絶望感が充満しているように思います。

そもそも川を渡り始めた段階では、サソリは自分が刺すと思っていなかったのではないでしょうか。どのサソリも、渡り切ってカエルに感謝して別れる場面を想定していたのではという解釈も可能です。それでも渡り切る前に刺してしまって自らも命を落とす。その光景を見て、次のサソリは自分こそと思いながらまた刺してしまう。でももしかしたら1001匹目のサソリは刺さないかもしれない、或いは100001匹目かもしれないし、永久に刺し続けるのかもしれない。そういう怖さを感じました。

サソリが刺さずに済むためにはどうしたら良いのでしょう?
サソリが自身をどこかに幽閉すればいいのか、カエルがより強力な種族に依頼してサソリを駆逐すればいいのか。
しかし、サソリが刺すかもしれないと思いつつ背中に乗せてしまうのもまた、カエルの性(サガ)なのではないでしょうか。

このお話、英語版では最後のサソリの科白が「It's my nature」になっているようです。
サソリの「nature」とは何なのか、秋の夜長に考えてみませんか。

(福)