人が集まると話題になりやすいのが、共通の知人の噂話だ。これ自体はよくあることだが、その場の状況や人の組み合わせによっては、悪口に転じていくことがある。
多くの人が、目の前にいる人達との和を大切にして暮らしている。過剰な気遣いや、その場を盛り上げたいサービス精神、時には正義感が共感力を焚き付ける。そして、対象が尊厳を持つ人であることを忘れた時に、悪口に転じるのではないだろうか。その時の対象は人というよりは、生贄と呼ぶのが相応しいのかもしれない。共通の高揚感に包まれている時の、集団の熱を冷ますのは難しい。集団によるいじめも、同じ原理が働いているように思う。
その場かぎりのノリが生む悪口やいじめもあれば、集団のパワーバランスの中で、マウントをとりたい人物を中心に繰り返す、悪口やいじめの循環も存在する。その場にい合わせた時に、深入りしまいと思うのか、対象にされまいと同調するのか。そこが、無限同調サイクルから抜け出すか否かの分かれ目になりそうだ(窓際か出世かの分かれ目かも?)。
悪口やいじめの対象にされる人にも何がしかの原因があるにしろ、本来与えられるべきは、集団の結束を高め、高揚感に満ちた時間を提供してくれたことへの、お礼や感謝ではないかと思うのだが。
(MK)