なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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それをどう理解すれば…………

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 「人の目、神の眼」にコメントを下さった方にも書いたことなのだが、まったく反応が無かったので、ここで改めて問いたい。
 電子はレプトンと呼ばれる素粒子のひとつと考えられている。そして、ここからが驚くべきことなのだが、このレプトンには内部構造が無く大きさが0である。
 ミスプリではない。電子の大きさは無いと考えられている。それは、これまでに高エネルギーの電子の衝突実験で電子に大きさがある兆候は見つかっていないことからの帰結である。
 また、電子を大きさのない素粒子として扱って矛盾のない量子論(量子電気力学)もほぼ完成している。
 ここで唯一の望みは
『兆候は見つかっていない』⇒いつかは大きさがある兆候が見つかるかもしれない
のだし、
『ほぼ完成している』⇒完全に完成したわけではない
という事だろう。
 電子という現実の物質に大きさが無いなどというエキサイティングなことを初めて知ったのは、あの『ファインマン物理学Ⅰ』を読んでいた時のことだった。
 それを知って以来ぼくは何故か嬉しくて仕方なかった。だって大きさの無い『点』なんて数学上考えられるだけの存在=想像上のもの(キメラや鵺《”ぬえ”は夜の鳥って書くんだね。如何にも不気味だ》の仲間)だと思って生きて来たのだから。
 それが実在するとは。
 でも質量があって、大きさが0であるという事は、単純に考えても世界は、あなたもわたしもブラックホールで出来ているという事ではないのか?(密度が無限大になるのだから)
 でも、全ての物質はブラックホールの塊、では無さそうだし。これは一体どういうことなのか? 中学生に教えたら、それでごはん5杯は食べてくれそうだ。
 この感動を忘れない中学生だけが、大学で吐き気がする程の難解な物理学演習をこなしてゆき、物理学博士号を取得するのだろう。
 大きさが無くて実在する『点』など人間には理解できない。
 しかし、神ならばそれも常識であり、取るに足りないことなのだろう。その代わり、その事実に感動する心は人間だけにあって神には欠けている。

 最近、電子について知ったことが他にもある。世界に大きさがあるのはこの電子の性質のお陰だという事だ。
 電子はフェルミ粒子と呼ばれるものの仲間だ。フェルミ粒子は同じ場所に2個以上は位置を占めることが出来ない(フェルミの排他率)。電子は大きさが無いくせにだ。
もし、電子が同じ状態に2個以上占めることができるなら(これをボーズ粒子と言う)世界はたった一つのところに無数の電子が重なったものとして立ち現れるかもしれないのだ。
(そう言えばあのファインマンは世界中の電子はたったひとつの電子が別れて見えているだけではないかという仮説も持っていた)
 そんな世界のすべてである電子が大きさの無いものだなんて。神の代わりに感動することしきりである。

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