なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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裁判長、その罪は僕の自由意志が惹き起こしたものではありません!

 『リベットの実験』は、僕らには自由意志など存在しないということを明らかにした神経心理学の実験だ。いろいろ問題はあるようだけど、決定的な実験否定論は現れていない。
 それを受けてアメリカでこんな裁判が開かれた。「私が起こしてしまったという罪とやらは私の自由意志の結果ではない。よって私の罪ではない。私は無罪だ」
 日本だったら却下されそうな訴えだが、さすが(?)アメリカ、真剣に検討が加えられた。
 判決は如何に? 残念ながら(?)被告は有罪。その根拠というのがファンキーだ。
 確かに判事は自由意志が幻想であることを科学的に受け入れている。では何故被告は有罪とされたのか? キリスト教的倫理を持ち出したのだろうか? そうではない。
 結論「私たちには自由意志が無いのは認めなければならない。しかし、私たちは自由否定の能力までは失っていない。つまり被告が被害者の物品を盗もうと思ってしまったのは、被告の責任ではない。しかし、私たちはその思いを否定することまでの能力は失っていない。よって被告は有罪とする」
 この判決には補足がいるだろう。あなたが全財産をルーレットに賭けるとしよう。さあ、あなたは『赤』あるいは『黒』のどちらかを選ばねばならない。あなたはどちらに賭ける? 5秒以内に決めなければならない。とっさに『赤』を選ぶ。なぜあなたは『赤』を選んだのか。そこに自由意志はない。では何が『赤』を選ばせたのか。科学的用語では『ゆらぎ』と呼ばれるものの結果だという。
 『ゆらぎ』とは風のない部屋に置かれたコップの水の水面の動きのようなもの。ブラウン運動により水面は微妙に動いている。その具合によってその時の物理現象が決まる。
 脳内を流れる電気にも『ゆらぎ』があり、その時その時によって、「赤に100万ドル!」と言うか「黒に100万ドル!」と叫んでしまうかが決まってしまう。決して自分の自由意志の結果ではない。
 太っている人の写真を見せられ、思わず「デブだなー」と心の中で思うか、あるいは特に何も思わないかが決まるのも『ゆらぎ』のなせる技だということだ。
 しかし、自由否定の能力が私たちにはあると言う。太っている人を見て、「あなたはデブだな」と実際に口に出してしまうのを収める、つまり自由否定の能力までは神経心理学の実験で否定されていないということなのだ。
 だから、「あの財布を盗みたい」と脳内の『ゆらぎ』があなたに思わせることはあっても、それを行動に移すのを否定する能力は被告にもあったということなのだ。
 思うだけは自分の責任ではなく勝手になされることだが、それを止めようとする能力『自由否定』は各自の責任下にある。
 分かりにくいがそういう事らしい。件の判決はこれらを科学的に構成して言い渡されたものだったらしい。
 そう言えばモーゼの十戒は『汝、〇〇してはならない』と否定能力があることを前提に記されている。遥かむかし、神経心理学が無かった時代に既に真理に到達していたという事なのだろうか。

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