最近「私って懐疑心が強いのかな…」なんて思っていました。
端的に言えば、『現代的な価値観』の正当性を信じられていません。
厳密に言えば、『現代的な価値観』を「良いものと感じる私自身」を信じられていません。
それは後天的な「刷り込み」や「洗脳」では?
将来「時代遅れだ」と一蹴される時が来るのでは?
…などと思ってしまいます。
未来のことなんて分かりませんが、幾つか思考実験をしてみましょう。
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労働
これは既に変化の途上な気もしますが、「働くことは自己実現であり有意義なこと」なんて言説は、将来世代からは「古い価値観の人だなぁ」「そうやって洗脳されてきたから仕方がないのだろう」「労働で無駄にしてきた人生を否定されるのが怖いから、そう思い込んでいるのだろう」などと思われていそうな気もしています。
労働に勤しむのはプロスポーツ選手のような極一部の優れた人達のみで、それを支えるのはAI、その他大勢はその様を眺める「観客」になっているかもしれません。
肉食
ヴィーガン…とまでは行かずとも、今後人口増加によって食糧危機が迫ると昆虫食にシフトせざるを得ないことは予想されています。そうなると将来、食料コストが高い牛や豚,鶏肉などは敬遠されても不思議ではありません。
そうなれば、フォアグラなどの食材は勿論、哺乳類の牛や豚を食べる文化まで含めて「動物蔑視だ」とか「昔の人は差別主義者だ」などと言われていても違和感はないと思います。
自由,人権,平和など
正直これがひっくり返る未来は想像したくありません。が、「こんな甘えた理想論に縋り付いていたから衰退したんだ! 綺麗事じゃなく残酷な現実を見ろ!」なんて罵られる未来も有り得ない話ではないでしょう。
実際、トランプ現象のような「より戻し」とも取れる現象は既に観測されています。経済も含めた深刻な危機に陥れば、より急進的な勢力が台頭しても不思議ではないでしょう。
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深淵をのぞく時、深淵もまたこちらを…ではありませんが、
私達が上の世代に対して「時代遅れだ」と感じる時、
私達もまた下の世代から「時代遅れだ」と感じられる未来への覚悟は必要だと思います。
今の価値観は論理的に正しいから、今後も末永く続くはずだ?
それは『理屈と膏薬はどこへでも付く』というだけの話でしょう。
ただ…正直、私の眼には現代的価値観を強く信じられている人の姿が眩しいです。
だから私はサングラスを着用しているのです(※嘘です
(十六夜燕雀)