東日本大震災のあと、震災地ではこんな体験談が急増したという。
体験者はタクシードライバー。客を拾って、目的地に着いたのでミラーに目をやると、後ろのシートには誰もいない。慌てて振り向いてみると後ろのシートが濡れているだけだった。
「よくある古典的な幽霊話だな」そう思われただろうか。この種の話が、被災地では実に多くのタクシー運転手から聞かれるという。
そこでもし、この幽霊に「あなたの居場所はどこですか?」と尋ねたら、恐らくその幽霊はこう言うだろう。「ありません」と。
居場所が無いからこそ、東北地方のタクシーの中に『居続ける』(出たり消えたりする)。
他の場所に居続ける幽霊も、たとえばあるお寺にずぅーっと出てくるというケースを考えてみよう。その幽霊に「あなたの居場所はどこですか?」と訊いてみると矢張り「そんなものはない」と言うか「…………。」無言だろう。
この場合も、居場所が無いからこそ、そのお寺に『居続ける』のではないだろうか。
幽霊が実在するとは思えない。では全て架空の無意味な話なのか。急にタクシードライバーが作話しだしたとは思えないのだが。
では何を物語ってるのだろうか。話題になるほど多くのタクシー運転手が、この種の体験談を話し出したという事実の意味とは。
幽霊の話は、遺された生きている人間のなんらかのRealだと思う。いま生きている人間が、震災を、亡くなってしまった人間をどのように捉えているかのRealだと思う。
歴史的な事実をどう私たちが伝え、認識しているかの現れが、お寺の場合には『居続ける』幽霊となっているとも考えられる。
彼らに居場所(天国)を与えることの出来なかった人間たち。その後ろめたさが逆に彼らをある決まった場所に『居させ続けて』いるような気がする。
彼らの無念、現在の人間がそう考える幽霊たちへの後ろめたさ。彼らのことはもう忘れたい。それが彼らの居場所=天国に彼らはいる、というストーリーではないか。
しかし、矛盾するのが人間の常で、そうやって彼らのことをもう思い出せないのは(天国に彼らは居場所を見つけているというのは)嫌だという人間たち。
だから、一年に一回彼らを祭って思い出したい。それがうまく行かないと、幽霊たちは居場所(天国)がなく、現世に居場所を求めざるを得ない(お寺の中だったりタクシーの中だったり)。
それが、幽霊たちの『居場所』なのではないか。現在生きている人間が彼らの『居場所』をコントロールしようとする姿がお盆であり、怪談ではないのだろうか。
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