なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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みんなで考える。独りで考える。

 先日の哲カフェで、哲カフェの効用として「自分一人で考えても、煮詰まってしまい別の視点を持てない。ところが哲カフェに参加することで、自分では絶対に気づかない新鮮な考え方に触れることができる」という、やや定型の感のある発言を再び聴いた。
 何年も前に、大学院の博士課程に在籍する哲学専攻の方から『…………だから、i3さんも自分の頭で考えに考え抜いてください。』というメールを受け取ったことが、僕の心のどこかに場所を占めていた。
 そしてまた、ある大学教授はPCを、完全ワープロとして使っていたこと、つまり外部にWi-Fiで繋ぐことをせずに、自分の頭で考えに考え抜く為の道具として使っていたことも思い出された。ひとはアナクロニズムだと笑うだろうか?
 僕はひとつの難問を、自分で考えに考え抜くという修練を怠っていた。問題集を解くとき、ある程度時間をかけても解けないと、自分で考えることを放棄した。解答が載っているものに関しては、その考え方を暗記した。四六時中解けない問題の事を考え、そしてある日、答えが浮かんで「ユーレカ!」と叫んで風呂場から飛び出すという経験は、ついぞ訪れることがないまま今日に至っている。
 『だからダメなんだって思う……』ビッケブランカの歌の一節を呟いている。結局僕はその程度の男だ。新しい風景を見ることがついぞ出来なかったと思う。人生ある意味投げやりになっている。でも、このままでいるのは悔しい。でも自分はこの程度なんだ。このあたりを未だにぐるぐる巡っている。
 問題を解くことが出来る者と、出来ない者。この差は一体何なんだ。諦めない者と、すぐに諦めてしまう者。この差はそんなに大きいのか?それとも、ほんの小さな差しかないのか?ただ言えるのは、自分の悔しさを忘れないでいる者だけが、諦めないというメンタリティを持ち得るのだということだ。
 昔に哲カフェで出会った人。自分とあの人とはほとんど差は無いようでいて、決定的に違っている。『自分の頭で考えに考え抜く』ことをしてきた者と、出来なかった者。
学歴に差があるからじゃない。人間として、…………いや、もうやめよう。これ以上自分を貶してみても得るものは無い。ただ、僕も新しい景色を見たかった。自分の頭で考える人間だけが、出会うことが許される光景を。

 『…………だから、i3さんも自分の頭で考えに考え抜いてください。』このメールを送ってくれた人が、何を伝えようとしてくれたのか。その意味を考えることすらも、僕はもう諦めてしまっているのかも知れない。

(i3)