なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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Alone in each other --一人が 二人--

※この画像は、本文の内容を基に、ChatGPTのDALL・E3というプラグインを使って生成しました

今、ノルウェーの劇作家ヨン・フォッセの戯曲『だれか、来る』を読んでいます。作者自身がベケットの『ゴドーを待ちながら』に影響を受けたと述べているようにちょっと難解な作品で、作品自体の解説は私の手に余るので、印象に残った科白を紹介したいと思います。

この戯曲には、次の3つの科白が繰り返し現れます。

二人きりで 一緒
二人きりで いられる
一人が 二人

これを日本語にするのに訳者はとても苦労したようで、参考までにということで解説に英語が記されていました(原文のノルウェー語(厳密にはニーノルシュク)は書かれていなかったのでわかりません...)。

Alone together
Alone with each other
Alone in each other

これについて訳者は、「このAloneが曲者なのだ。たった”二人きり”という意味と、もうひとつ”一人ぼっち”という二つの意味が含まれていると思う」「共生、共存への願いが高まるほど、「一人」なんだという認識も高まっていく」と述べています。

この作品に対する訳者の解釈とは別の話として、私は夫婦という形で特定のパートナーと長い間生活を共にした結果、「Alone in each other」という感覚が何となくわかるような気がしています。それは物理的に一人の時間が必要とか、一緒にいても理解し合えなくて孤独だとか、そういう具体的な話ではありません。一人の存在は際立って感じられるけれど、二人としての塊もあり、それらが自然に、淡々と同時にただ在る、というところでしょうか。「Alone in each other」という言葉に、張り詰めた孤独のようなものが感じられず、自然な在り方のように思えるのかもしれません。このような感覚が、この作品世界に流れる空気とは異なるということは認識していますが。

訳者は北原白秋の以下の詩を思い出したと書いていましたが、

二人デイタレドマダ淋シ
一人ニナツタラナホ淋シ
シンジツ一人は遣瀬ナシ
シンジツ一人は堪へガタシ

私は星野源の『恋』の歌詞を思い出しました。

夫婦を超えてゆけ
二人を超えてゆけ
一人を超えてゆけ

山あり谷ありの数十年を経て、何となく「夫婦」と「二人」は超えられたような気がするのですが、「一人」を超えてゆくことは難しそうです。

(福) 埋め草担当