なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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To be, or not to be…………

以前、webの哲カフェで『「悩み」について』というテーマを取り上げたことがあった。それをどうして今頃になって、ここで取り上げたかというと、朝日新聞の土曜版別刷りで、『なやみごと、人に相談しますか?』というアンケート特集を見たからだ。

 

その記事によると、「(相談)する派」「しない派」は3:7に分かれていた。「しない派」の最多の理由は「どうせ分かってもらえない」「悩みを知られたくない」といったところだった。

 

「自分はこんな悩みをもっている」というのは明らかに弱みで、それは人には知られたくないだろう。

 

例えば仮に、自分は詐欺にあって、少なくない被害にあってしまったと、人に知れたらどうなるか?恐らく「そのお金を何としてでも、取り戻しましょう。つきましてはその手続きにかかる実費として〇〇円必要となります。」とカモにされ第二、第三の被害にあう可能性が大である。だから自己防衛のため弱みは人には知られたくないのだ。

 

では「どうせ分かってもらえない」の心理とは何か。他人がどんなに苦しんでいても、所詮は他人事である。よっぽど相談してくる人が、自分にとって大切な人ならいざ知らず、相手が親友でもなければ、「へぇー面白れぇー」と思ってしまい終わりである。具体的に金銭の喪失はなくとも、相談する相手をよく見定めないと「私はあなたにとってどーでもいい人間だったのね」と確認して自己嫌悪に陥る。或いはその他大勢に言いふらされて、「バカにしやがってー」と恨みを抱くのがオチだ。

 

人は他人の身になってみるということをしないから。かく言う私もその被害者(?)加害者(?)双方の経験がある。他でもない僕に秘密を打ち明けてくれた人に、ほんとに酷いことをしたと、数十年以上前の出来事に心が痛む。また僕は自分の秘密を打ち明けた人に、「楽しそうでいいじゃん」と返されたり、他の人にも言いふらされたことがある。その人とはそれ以来会ったことがないし、当然会う気もしない。

 

人によっては「それは深刻になるな。軽く考えろってことだよ」と傷口に塩を塗りたがる人もいるかもしれないが、「それができるくらいならやってるよー」「聖職者でなくとも守秘義務ってもんがあるだろー、人間として」とも思ったりする。「深刻になるな」というのは、僕が苦しんできたことに、そして苦しみに何の意味も無いと宣告しているようなもので、それは受け入れられない(苦しみの解釈は、それが正しいとしてもだ)。

 

他の大勢の人に僕の秘密を知られてしまったということは、「大勢の敵にふいに出くわすかもしれない」という恐怖に似たものを覚えるのに等しい。人間性善説に立たねば、この苦しみからは(むしろ恥ずかしさからは)逃れ得ない。この状況に陥らせてくれた人に復讐心がもたげる。余計なエネルギーの支出を強制されるということだ、言い換えると。生物としては避けたい状況だ。

 

だいたい他人の悩みを覗き見る習性がホモ・サピエンスにはあるから、文学なるものが過去・現在・未来と存在するのだろう。人の悩みを自分の余暇時間に小説を読むというかたちで覗き込む習性と言ってもいいだろう。果たして文学というのは必要悪か。悩みを一人だけに打ち明けた時は深刻な秘密だが、何万という大勢に知らしめられた時には昇華され、永遠のいのちを持つだろう。

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