なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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箸休め的論考=読書論

 頭を酷使している皆様の為に、ここに箸休め的エッセーを記す。たぶん読んでも考える力は養われない。そして何も得るところがない。ブログのインフレ化の走り。ただ、自分の投稿ノルマを果たしたい一心の愚行ではないか。他人の迷惑を省みないとは、このことだと結論づけざるを得ない、神をも恐れない耽溺。

 前置きは此の位にして、さっそく本論に入る。読書好きに悪人はいない。いるのはただ嘘つきだけだ。そして読書好きは大きく二つに分かれる。本を読む派と本を読まない派だ。本を読まないのにどうして読書好きと言えるのか?

 積んどく派の人がいるからか?本を読みたい、しかし時間が取れない、という方々も多いのではなかろうか。私もその気持ちはよく分かる。だから思い付きで書き始め、窮地に陥ってゆく私の気持ちも分かって下さい。

 ここからが、画期的本論。本を買う時、そのカバー、装丁、帯のことを考慮する人はどの位いるものだろうか。私はカバー・装丁に力を入れている本は、読んでも面白い、ことが多いと記憶する。逆は必ずしも真ではないが。浅田彰『構造と力』は名著だと思うが、装丁・カバーには特に見るべきものがない。

 特に装丁・内容ともハイレベルと思われる本を世に送り出している出版社といえば、青土社みすず書房晶文社岩波書店講談社あたりが目に浮かぶ。カバー・装丁・帯まで素晴らしいと、内容に+αされて好感度があがる。

 一度購入した本は、日焼けしてしまってもカバーを外すことはしない派、それが私である。よく帯は勿論、カバーも外して本棚にコレクションしている人がいる。わたしは本という物質も好きなので、帯が汚れ、本屋判断で外されていると少し残念である。

 だから最近モノクロの表紙で統一されているシリーズは少し残念だ。Kindle本のことだ。検索機能が付いていて、一見便利なように見えるが「この本のこのページあたりに面白いこと書いていたよな」と紙の本をぺらぺらめくることが出来ない。それが(面白いことが)、必ずしも単語で記憶されているとは限らないので、Kindleはただ、本棚の場所をとらないので仕方なく利用しているのだ。

 どうしても気に入った本は紙で購入することも稀にある。紙の本で読んだ記憶とKindle本で読んだ記憶は違う。Kindle本は読書中、一つの個所にこだわって考えていると、勝手にスリープモードになってしまう。だから哲学・文学系の本は出来ることなら紙で買いたいものだ。スリープモードを解除する方法もあるみたいだけど、完全ではないみたいだし、面倒だ。紙の本とKindle本はまったく別物という気がする。

 本を一冊読み切ったときの征服感も紙の本の時と、Kindle本とではだいぶ異なる。自分の部屋に書庫が連結されていれば理想だが、現実はKindleに頼ることとなる。買う時に中身が完全に見えるのと、最初の1割しか試し見できないのとでは本のセレクト感が満たされる・満たされない、欲求不満になること等が違ってくる。いろいろ文句は言うがKindleがない生活は考えられないのも事実だ。古本かKindle本かと選択を迫られた時、今のところオール Kindle だが、いつか嗜好が変わるかもしれない。

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