ある時、ある方からこう問われました。「あなたの思想がわからない」。
そう言われてみると……確かに。私も私の思想がわかりません。そもそも、私には思想があるのでしょうか?
そこでiPhoneの「MandalArt」アプリを開き、書き込んでみることにしました。「MandalArt」についてここで説明すると長くなるので、詳しくはこちらをご覧ください。
さて、まずはMandalArtの中心のセルに「私の思想とは」と書き込みます。そこから考えを進めつつ、少しずつ書き込んでいきます。それを展開した図がこれ。
これは最上階の図であり、実際はその下にどんどん書き込んでいきます。
たとえば、こんな感じ。
字が小さすぎて読めないと思うので、テキストも貼っておきます。もともと人に読んでもらうために書いたものではないのでわかりにくいとは思いますが、悪しからずご了承ください。
・私の思想とは?
・思想とは、フレームワーク?
・フレームワーク=共通して用いられる考え方・戦略
・道具、あるいは武器と道具
・私の中にフレームはある?
・そもそも何について考えている?
・世界の成り立ち・舞台裏
・そのためにやっていること
・哲学カフェ
・色々な人の話が聞ける
・複眼で見る
・いろんな再解釈を知る
・角度を変える
・分けたくない
・世界はひとつ
・ラベルを貼らない
・敵も味方もない
・フルオープン
・守るべきものもない
・排除しない
・全ての経験を受け入れたい
・食って再解釈する
考えを進めながら展開しているので、ところどころに飛躍があります。たとえば「哲学カフェ」の次に「分けたくない」が来ている。なぜここに「分けたくない」がきているのかというと、「哲学カフェ」の下にある「いろんな人の話が聞ける」「複眼で見る」「いろんな再解釈を知る」ためには「いろんな人」が必要だから、「(人を)分けたくない(=全て取り込みたい)」ということになる。
そして最後に到達したのが「食って再解釈する」という言葉。実はこれは私ではなく、私の夫の言葉です。「あなたは武器や防具を買って身につけるのではなく、食って体の中に取り込んでいる」と。言われてみると、確かにそうだなと。
つまり私の場合、誰かに語って伝えられるようなフレームワークは持っていない。ただいろいろな人の話を聞き、世界を複眼で見て、いろいろな人が再解釈した世界を知り、世界の成り立ちや裏舞台が理解できるようになりたい(←これが最終目的)。そのために、いろんな人の話を聞き、その思想を食った後、血肉にしている。そうすると(捉えられる)世界は変わっていく。
食いたい思想には、いいも悪いもありません。善も悪もありません。ただ全てを食って、味わいたい。そこからまた新たな経験を得たい。それはまるで『薬屋のひとりごと』に出てくる「猫猫」のように。彼女は薬学を究めるために、毒も飲んでいました。そして「薬も毒も同じ」といいます。私もきっと、似たような境地に立つことになるのでしょう。
敢えて言葉にするとしたら、「思想を喰らう」ことこそ私の思想。今度その方に同じことを尋ねられたら、そう答えることにしましょう。理解していただけるかどうかは、わかりませんが。
(真)