なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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左手の物語

ikueさんの書かれた「私の中の小さな『死』」というブログを読んで、怪我で一月ほど右手が使えなかった時の記憶が甦ってきた。

右手に代わって左手に頼る生活が始まったのだが、その動きはなんともぎこちない。無意識では動けず、次の動きを私に聞いてくる。持ち主の事情で、突然重い使命を仰せつかった左手は、けなげに不器用に際限なく私に尽くしてくれる。次第に私は左手が愛おしくなっていった。

左手の箸使いも随分上達した頃、右手は機能を取り戻し、左手との暮らしは自然と解消されていった。その時の自分の都合で恋人を置き去りにするような感覚を、微かに覚えている。

今思い返せば、身体の一部が使えなくなった時に、他の部位が全力でそれを補うという生物学的な反応が起こっていたのだろう。ただ人の意識や感情は、様々な解釈や物語を紡ぐようにできている。忘れかけていた左手の小さな物語を思い出した時、私はこの物語の別なエンディングを思いつく。

また左手で箸を使ってみよう。左手とも右手とも暮らしてゆくいう選択肢もあるのでは。

これが私の多様性に対する意識の変化を表しているのかどうかは、わからない。どちらかというと、この先の左手の物語が長調の色味を帯びていくことを、あの時置き去りにした左手への恩返しにしたい自分がいるようにも感じている。

(MK)