数年前から少しずつ不要なものを捨て始めています。
数か月おきに家中を見直していくと、初回は「まだ捨てられないっ」と思ったものが、二度目には「まぁいいか」となり、三度目には二度目でも「まだ捨てられないっ」と思ったものが、「これも捨てるかー」となり、「不要」と判断される基準がどんどん低くなっていくのは面白い現象です。
最近は断捨離やミニマリストが流行り過ぎて、反対勢力の発言も増してきていますが(モノはあってもいいんだ!むしろ必要なんだ!的な)、私自身はミニマリスト寄りの中庸を目指しているので、もう一息かな、という感じ。
そんな状態で久しぶりに街に出ますと、街には相変わらずモノがあふれています。
ですが、捨てる方に意識が向いていると、必要なモノ以外は欲しいと思わないんですねー。
なぜか?
それは、捨てる時の自分がどう感じるかを何度も経験しているから…
「注・興・連・欲・比・信・決・行」
という、人がお買い物をする時の心の動きがあります。
↓
- あらいいわね(注意)
- 素敵(興味)
- これを着たらどうなるかしら?(連想)
- 買おうかなぁ(欲しい)
- あっちもいいかな(比較)
- やっぱりこっちがいいわ!(信じる)
- 決めた!(決定)
- レジに持って行く(行動)
この中の(連想)の時点で、普通はソレを買った後の幸せな自分の姿のみを想像するのですが、
『捨て』経験値が高まりますと、ソレを捨てる時の自分の躊躇…辛さも、想像してしまうのです。
さらには、ソレを買うことによって逆に負担・ストレスを感じることもあるのでは、という想像も。
なので、滅多に「欲しい」までいかないのです。
しかし今、必要でもないのに「欲しい」まで感じてしまう唯一の危険区域があります。
それは、かつてはうさこちゃんと呼ばれていたのにいつの間にか「ミッフィー」と呼ばれるようになっていたウサギのグッズコーナー!
なんてことないコットンのトートバッグに「●」「●」「×」が描いてあるだけなのに、どうしてこんなにかわいいの?!
ふらふらと魔法にかけられたように吸い寄せられてしまうのですが…
正気に戻って思い出すのは『捨てる時の心』。
このトートバッグを捨てる時もいつか訪れる…。落ちない汚れがついたり破れたり、もう絶対使わない、となった時、さぁ、このコを捨てられるの?!私?
…ムリだなー
と、思うので、結局はちょっとさわってなでたりするだけで買いません。
「見ている間は僕のもの」。
とはいえ、この判断が正しいかどうか、まだわかりません。
「必要」とはなにか…
「不要」とは…
とりあえずはまた見に来るね、うさこちゃん。
と、売り場を後にして歩きながらも、「●」「●」「×」だけなら自分で無地のトートバッグに描けるかも…、と考えたりもしちゃいます。
やっぱり欲しいのか…。
揺れる乙女おばさん心。
(ikue)