なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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わからないまま考える

「わからないまま考える」は、山内志朗という哲学者が著した書籍のタイトルです。
その巻末にブックガイドが付されており、著者おススメの本が数冊紹介されているのですが、ドゥルーズの『意味の論理学』の項にあった以下の文に、私は「うん、うん」と声を出して頷いてしまいました(日中はほとんど一人で家にいるので、独り言が増えているみたいです..)。

心が打ち砕かれてしまう本こそ、哲学入門書としてはよい本だと思う。(中略)心を打ち砕かずんば哲学書にあらずと私はいつも思っている。(中略)少しわかったつもりになっても、理解した心を裏切り見捨てるように先に進んでいく。にもかかわらず、ファンがとても多い。いや、この冷たそうな、しかし本当は「ツンデレ」なところがファンには堪えられないのだ。(中略)私がこの本を勧めたいのは、哲学への関わり方において、心をかき乱す力ということに目を向けてもらいたいのだ。分からないまま、哲学者の心を感じることはあるのだ。

私の言いたい事が語り尽くされているので何も付け加えることはないのですが、ひたすら「わかりやすさ」が求められ、「〇分でわかる××」のような動画が溢れる今の世で、「読書百遍意自ずから通ず」と己れを鼓舞して尚「百篇読んでもわからないんじゃないか」と弱気になりつつ、それでもそこには心乱されるものがある、何かある気がして読むのをやめられない、そういう筆者の気持ちがよく伝わってくる文章です。

哲学対話においても、思わぬ視点にハッとしたり、肚落ちしたり、そういう体験も楽しいのですが、何かわからないけど気になる、をわからないまま持ち帰るのが私は好きです(「わからない」のテイクアウトと自分では呼んでいます)。何かを伝える時も、もちろん自分なりにわかりやすく伝える努力はしますが、わからないまま考えながら話しているかもしれません。話す時も聞く時も、わかりやすさを追求すると、そこから零れ落ちてしまうものがもったいないような、そんな気がします。

人の言葉を借りてばかりですが、前出の著書には以下の文言もありました。

哲学をして、理解できず、挫折してこそ、現れて来るものがある。
分かるな! 悩め!

猛暑の中、理解できず、挫折しながら、哲学書と向き合ってみませんか?

(福)