居間の私の正面にはシンシナティの絵が飾ってある。アメリカに駐在した記念に購入したもので随分と大きい。本物ではなく、印刷をした絵に作者がサインをしたものである。いつも目の前にあるということで、普段は気にも留めていない。
しかし今朝は、なぜかその絵が目に入った。そして、これまで色々なところに住んでいたということを思い起こし、それぞれの場所での生活を思い出した。時間軸にそって振り返り始めると、池田に住んでいた時の思い出が抜けていることに気が付いた。そういえば、池田で過ごした時期があった。そう気づいた時、池田時代はどのように週末を過ごしたかという記憶がよみがえる。
なぜ、このように思い出の強さに違いがあるのだろうか。実際に過ごした時間の長さでは無い。池田に住んでいた期間は短くはなかったが、出張で行っただけでもしっかりと思い出す場所がある。池田にいた頃は、仮の住まいという気持ちが強かったことが影響しているのかもしれない。あるいは、近くに実家があったので、池田という場所が特別な場所として位置づけられていないのかもしれない。
住んでいた場所を思い出すことで、自分の中の価値観を垣間見た気がした。
(寺)