なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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傷ついた経験から得られること

先日参加したおなごテツのテーマは、「傷つく、傷つける、傷つけられる」だった。
私は参加するまで「傷つける」と「傷つけられる」には相手がいて、「傷つく」は必ずしも相手がいなくても成立してしまうことだな、とざっくり考えていた。つまり、「傷つく」というのは傷つけた相手の問題ではなく、自分の問題なのだろう、と。

おなごテツで特に印象に残ったのは「傷つく」強さの基準で、そこには感受性の強さに関係がありそうだった。もともとの個性として感受性の強い人もいれば、一時的な環境要因や状況によって一時的に感受性が過敏になってしまう場合もある。つまり、傷つきやすい状態があって、何かのきっかけで傷つくのだ。同じような出来事を経験していても、傷つく人がいる一方で、傷つかない人がいるのはそういう理由からなのだと思う。

厄介なのは、多くの場合、傷つけられた側は「痛み」を感じるのに、傷つけた側はその「痛み」がわからず、「傷つきましたよ」と伝えられなければ、気づかない点だと思う。そして傷ついた側は、それ以上傷つかないよう自分を守るためにも、何事もなかったかのように水に流してしまい、相手に黙っていることも多い。

「傷つくのが傷つけた側の問題ではなく、受け手(自分)の問題だからこそ辛い」というご意見を聴いて、私はおなごテツ終了後しばらく考え込み、ちょっと切なくなった。
私の感受性がもう少し鈍感であれば傷つかずに済み、何事もなかったかのように物事も順調に進み、その方が自分も周囲もむしろ幸せだったのかもしれない。
かつての私はそう考えていたことがあるからだ。
でも今は、
「傷ついた経験から得られることは実は貴重で、後にその人の魅力になり得るものだ」
と思っている。


まず傷つけられた時に、傷つけた相手に「傷つきましたよ」と伝える場合はどんな時だろう? 対話では、近しい相手でこれからも関係が続くような人には伝えたいというご意見、深く傷つけられた場合は特に伝えたいというご意見があった。これは傷つけられた側にはなかなか勇気もエネルギーもいることで、相手への誠意とも言えると思う。真心があれば、傷つける/傷つけられるという両端の立場を超えて、そこから信頼関係を新たに築くこともできるのだろう。

だからといって、傷つけられた時に、傷つけた相手にその痛みを伝えられないことは、悪いことだとも思えない。相手によっては伝える価値のない人もいるし、伝えるかどうかは傷ついたその人が決めればいい。伝えたくなければ、無理に伝えることはないのではないかというのが私の意見だ。相手に伝えるよりも忘れた方がいいこともある。それ以上傷つかないように自分を守ることも大事なことだ。傷ついたという感情(事実)は消えないけれど、時間経過と忘却によって痛みや記憶は徐々に薄まっていくこともあるからだ。自分にとって癒しになる時間を積み重ねていくことが、その忘却を助ける。また、相手を傷つけてしまった人がそのことに気づかなかったとしても、信頼関係が残っていれば、関係性は修復できる可能性もある。

傷ついた経験によって自分を不幸にするか、幸せなものにするかは選べる気がする。
傷ついた経験をどうするのか考えた時に問題となるのは、傷つく痛みを感じないために故意に誰か別の人を傷つけるようになる場合だと思う。それは自らを不幸に突き落としているようなものだ。意図的に傷つけようとした場合、された側からするとその意図が透けて見えれば、意外と傷つかないものだからだ。むしろ故意に傷つけようとしたその人自身の醜さをアピールしてしまうことになるのだろう。それは、その人の人間性や品性のあり方に繋がっていく。

傷ついた経験がある、もしくは傷つきやすいというのは、物事を繊細に受け止められる、ささやかなことにも気づける感性があるといえる。感受性が強い、もしくは感受性が高まっている状態は、多くのことを過剰に受け取ってしまうため、時に辛く感じることもあるかもしれない。しかしそういう感受性は、自分の中の見えない痛みを知り、傷ついた誰かの痛みを想像でき、他人の心の機微に気づける優しさと細やかな気遣いに昇華される可能性を秘めている。それが、全く別の機会で誰かを癒すことに繋がったりする。そのことでその人は、後に自分と周囲を幸せにする機会を得ることもできるのだ。

傷つくのは、傷つく人が悪いのではない。
むしろ、その感受性があることで、経験から優しいだけでなく強い人にもなり得る。
一見すると傷つく人は弱く見えるけれど、傷ついたことを相手に表明し、相手がわかるまでその痛みを説明できるような人もおり、むしろ傷つける人よりはるかに強くもなれるのだろう。


※  ちょっとしたことで傷ついた時、私はKeith Jarrett の「I Loves You Porgy」(作曲:George Gershwin)というピアノ・ソロ曲を独りで聴いて癒しを得ています。

(てんとうむし)