残された時間について考えるようになりました。
ひと昔前なら、寿命がきてもおかしくないお年頃ですから…(;・∀・)
と言って、いわゆる『タイパ』を考えるわけではありません。
むしろ、逆。
思い切り、パフォーマンスの悪い使い方をしたいな、と。
なにかに追われるように、やることリストを消化していく生き方ではなく、ゆるりと『なにもしない』をするような使い方をしたいのです。
数時間が、ただ無為に過ぎていく…。サラサラと流れる小川のように。
なんて素敵なんでしょうか。
子どもの頃の一日は、とても長く感じたものですが、何かしていたか?というと、なにもしていなかったと思います。
ボーーーッとアリの行列を眺めたり、ゆっくりと米粒を数えるようにご飯を食べたり(母に急かされつつも)、雪が降るのをただ眺めていたり。
一瞬一瞬をあじわっていたからこそ、充実して長かったのです。
でも今は一日がアッと言う間…。
このまま死んでしまったら、きっと後悔する。
だから私は残りの人生で、なにか特別なことを成し遂げたいというよりは、もっと深く、ごく普通のことを味わいたいと思うようになりました。
基本的に、訪れる日々は美しいのです。
それを汚しているのは自分の心。
春頃に始まる真花さんの読書会では『無心』について考えることになると思いますが、残された人生、無心にどれだけ近づけるかで満足度が変わってきそうな気もします。
(ikue) ゆる記事担当