なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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驚異的な光に満ちた空虚--晩年の岡倉天心

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ブックカフェ『茶の本』にご協力およびご参加頂いた皆様ありがとうございました。

切り口を絞った後も、皆さんが巧みに別の章と関連付けながら議論を展開されるのを驚きをもって聞いていました。
そもそも岡倉天心の著作はそんなに構成がきっちりしていなくて、気が付いたら横の糸がつながっていた、というような読後感に至ることが多いのですが、今回の哲学対話を終えた後、丁度そのような感覚に陥りました。

私は岡倉天心のファンではありませんが、折角なので晩年の岡倉天心について少し紹介したいと思います。

天心は晩年茨城県常陸海岸五浦に居を構え、釣り三昧の日々を過ごしながら、居宅に付属した六角堂という小さなお堂に時折籠って瞑想や読書に耽っていたということです。その六角堂内部の様子について、当時親しくしていたインドの女流詩人宛の手紙で、「広大な空虚です-暗黒ではなく、驚異的な光に満ちた空虚です。」と記しています。

驚異的な光に満ちた空虚、それはどういう光景だったのでしょう?

岡倉天心』(大久保喬樹著)では、晩年の天心について以下のように語られています。

厭世、遁世でもなく、自己滅却でもなく、明瞭緊張した自己意識を持続しながらその意識の課する有限の世界を脱して無限の営みに入っていこうと試み続けた。

東洋の美について、空白について、無について深い洞察を示した天心ですが、彼自身の「空虚」は、光が充満した「明瞭緊張した」ものだったのではないでしょうか。

六角堂、一度行ってみたいものです。交通アクセス悪いですが。

(福)