先日の(寺)さんの記事に書かれていた問い、
「不安が無くなったら、私たちの社会はどうなるのだろうか」
について、ちょっと考えてみました。
不安、というのは人間が何かをするための動機になることが多いと思うのですが、その動機がなくなるわけですよね。
ずーっと安心(*´▽`*)いいわぁ。
その状態では、不安をなんとかしようと考えたり、そのためにアレコレやってきたエネルギーが余っているうえに、今まで行動を促してきた大きな動機もないわけです。
では、新しい「動機」はどこから生まれ、その大きなエネルギーを使って人は何をするのでしょう?
例えば瑣末な例ですが(いつものように…)、
隣にいる人が昼寝をしようと横になりかけている。
それを見た私は、枕を使った方がもっと楽で気持ちいいんじゃない?と気づく。
そして枕を押し入れから引っ張り出して渡す。
そういう風に余剰エネルギーを使うんじゃないかなぁ、と思います。
ちなみに、枕いらないって言われても、ああそう~と思うだけでおわり。
気にしない~。
だって不安にならないんですから。
こういう使い方が増えていくと(もっと複雑なことに関しても)、社会はけっこう住みやすくなるんじゃないでしょうか。
「こうした方が気持ちよさそうだよねー」
「こうした方が楽しいよねー」
というのが動機になるから。
お腹空いたなー、という人がいても、自分はとりあえず満たされていて不安もないのですから、その時少しでも余分に持っていたら、なんの躊躇もなく差し出せます。
「これ、あげるー」
「ありがとー」
シンプルでいいですね。
もちろん、受け取ってもらえなくても、お礼を言われなくても、お返しをもらえなくても気にならない。
だって不安にならないんですから。
こう書いてみると、今すぐできなくもない気もしますけど。
言うは易しかなー(;’∀’)
(ikue)