なごテツ世話人&ファンのつぶやき

「なごテツ」の世話人およびファン倶楽部のメンバーによる個人的なつぶやきブログ。なお、ここに書かれているのはあくまでも個人の意見で、「なごテツ」の意見ではありません。

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こうして戦争は廃絶された………ん?

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 先日の哲カフェ、テーマが「どうして戦争は起こるのか?」に決まり、哲学発言が続いてゆきます。

 

 一国の指導者が戦争を始めるとき、その終結を全く考えないとは思えない。いや、どのように自国に有利に戦争を終わらせるか、つまり相手国に負けを認めさせ、どのような条約を締結するかまでを目論む。

 

 どう考えても自国が降伏する以外、戦争を終わらせる方法がないといった場合、その戦争を実際始めることはない。

 

 例え勝算が5分5分でも戦争を始めるにしてはギャンブル過ぎて、ゴーサインは出さないだろう。こうすれば恐らく敵国は、敗戦条約をのまざるを得ないという見通しがついたところで初めて宣戦布告となる。

 

 大日本帝国が開戦に踏み切れたのは、当時破竹の勢いだったドイツらと日独伊三国同盟を結び、開戦1,2年目で日本に有利な停戦協定をアメリカを中心とした連合国と結ぶというプランに希望を見出していたからだ。

 

 あの大戦で連合国は当初本当に世界はナチスの軍門に下るかもしれないという恐怖を抱いていた。そのナチスと手を組んだことで日本はなんとかなるのではと思いを託したのではないか。

 

 以上を踏まえて、自国が勝てると考えて初めて兵が動く=戦争が起こる、と私は主張したのですが、賛同はあまり得られなかったようです。

 

 戦争を起こすのは、被害妄想であったり、よその国民を軽んじたり、その他さまざまな心理状態が原因であるという話に終始した感があります。

 

 それは確かに嘘ではないのでしょうが、(さまざまな心理状態)+(自軍の勝つ見込み)=(宣戦布告)となるのは否めない。

 

 というのは、誰でも「あいつ嫌な奴だ。死んでくれたらいいのに」と思うことはあるでしょう。しかしそこから実際の殺人に至るまでは遥かに遠い道のりです。最後に実力を行使してしまうには最後の一線を越えなければならない。それが一国の指導者であれば(自軍の勝つ見込み)なのではないでしょうか?

 

 思考実験になりますが、ここで悲劇を起こさないためには(あいつ嫌な奴だ)+(人を殺めても訴追されない見込み)のうち、どちらを無くすようにすればよいでしょうか。

 

 人の気持ちはポジティブなものもあればネガティブなものもあります。それが人間です。だから最後の一線、を超えないようなシステムが構築されれば悲劇は起こりにくい(実際はそれでも起きることはありますから)。

 

 そのようなシステムは、自軍の勝つ見込みが持てないようなもの=力の均衡、が現実的ではないでしょうか。ところがこの力の均衡は、お互いの首に刃物を突き付けている状態なので、相手が正常な判断をなしえなくなった時点でThe Endとなります。だからその前段階=(さまざまな心理状態)の方を無くそう!と声が上がる。

 

 けれども国レベルではこれは力の均衡を保つよりも難しい。ひとはどの国のひとでも対等である筈とか、お互いを尊重するべきとか、人を憎んではいけない、人に好き嫌いを持ってはいけない、徳を持って人に接しなければいけない、等はある意味ヒトを別の種族にしなければ解決できないのでは。

 

 面白くないかもしれないが、それが現実だ。ただひとたび核の均衡が崩れた時は………。

 

 そう考えるとやはり(さまざまな心理状態)のほうをなんとかするべき、というのは至極当然。いったいどうすれば、人類発祥のころから解決できない「戦争」というものを克服できるのか?

 

 或いは賢くなり過ぎたサルは、戦争で絶滅することを運命づけられているのか?

(i3)